ヴィクトル・ダニロフ-ダニリヤン、ロシア科学アカデミー準会員。ロシア・ノーボスチ通信社に寄稿。
気候変動に関する国連フレーム協約の構想を実現するための過去に前例のない国際協定である京都議定書の各国の義務が2月16日から効力を発する。協約が設定している目的は、気候体系にとって安全なレヴェルで、大気中の温室効果ガス濃度を安定させることだ。このことは実質的にすべての国が支持している。協約は何らかの制限や義務を課すことは目的にしていなかった。しかし昨今の状況は具体的方策を要求するようになった。なぜなら、気候変動は極めて深刻な問題になったからだ。そこで、1997年に、京都議定書でこれらの方策が作成され、反響を呼んだ。
このパイオニア的国際プロジェクトは、今日までも未解決の熱い論争や論議を呼んでいる。論議は2つの観点から起きている。1つは、気候はもし変動しても、それは人的要素に起因する変動ではないので京都議定書は全く必要ないとする観点である。この論拠は説得力がない。なぜなら、人的要素にせよそうでないにせよ気候変動がもたらす影響は甚大であり何か手を打たなければならない。ましてや状況が悪化するだろうとの予想の信憑性は非常に高い。この変動の起こる確率は90%以上もあると予測される。しかもこの数値は調査すればするほど高くなっている。
もしなにもしなければ、プラス摂氏4,5度の(高い数値もあれば低い数値もあるので平均値を引用する)気温上昇があると言われている今世紀末には大惨事がやってくるだろう。地上の温度が4,5C上昇すれば、地球上には、生物の多様性(高等生物から低級生物まであらゆる有機生物を意味する)が極端に、「壊滅的」にと言っていいほど減少する可能性がある。今でも生物の多様性の減り方は古生物学で記録されるあらゆる過去の時代の時のより500倍も速いのだ。
変動する気候の影響で生物相に発生し始めた変質は、人間の生活条件を急激に変動させる一方である。農業は極端に危険度が増している。耕地面積は縮小し豊作が衰退するだろう。これらの現象を克服するためには農業技術と農芸化学に巨額の資金を投入することになろう。しかしこの努力も攻撃には勝てないだろう。状況は人間が農業技術や品種改良で適合できるよりもはるかに速く変化するからだ。
これらはすべて、大規模な社会変動をもたらすだろう。水飢饉のために多くの国では自活する能力がなくなるだろう。これは難民を発生させる。難民の数は十億人に達するだろう。ロシアには多くの水があり多くの土地があり、他の国よりもまず有効的な移住先として考えられている。慢性的に発生している水危機は山の向こうの話ではない。今世紀の30年代になればもうその現象が始まる可能性がある。もし世紀の終わりまでに難民発生が大量の現象になれば、社会体制に何が起こるか予測は難しい。先進国は難民全員を受け入れることは希望しないだろう。なぜなら、それは自国の先進性や慣れた生活水準との決別を意味するからだ。
しかし、難民を「受け入れない」ことは、自分の領土の保護のために非民主主義的方法、いやもしかしたら、強制送還や銃殺など最も極端な方法を行使したと見なされる。世界は自国社会の崩壊を招く「難民受入れ」と非民主主義的である「難民受入れ拒否」の二者択一との間で引き裂かれ、深刻な政治不安定を招くだろう。増大する大惨事と恒常的危機という条件下で生物危機は精神的原理も圧迫する。そうなれば、民主主義的価値、いや人間的生活様相そのものを維持できるかどうかという問題が起きるだろう。まさにこれが気候変動からもたられる恐ろしさである。
もう1つの観点は、京都議定書は、それが要求する人的排出物削減目標がわずか5%というあまりに低い数値であることから非難を受けている。イギリスの前首相トニー・ブレアはまさにこの点を批判し、設定された目標が不十分であることに不満の意を表明しもっと高い目標が必要であることを強調している。しかしこれは非現実的な考えであろう。京都議定書設定された控えめな課題ですら、アメリカやオーストラリア側は達成の保証は無理として批准していない。もし義務をもっと厳しくしたら、達成できる可能性がゼロになるだろう。
京都議定書が作成された時、作成者たちは、大気中の温室効果ガスの濃度の大幅削減の達成(しかもわずか5-10年のうちに)のための根本的な手段を設置するなど誰も考えなかった。京都プロジェクトは、まず、気候問題解決のための各国の相互協力の長期プロセズの中での第一歩を踏み出すこと、また、この方向での協力のメカニズムの作成を可能にする手段をつくること、程度に考えていた。現在設定されているメカニズム(温室効果ガス割当て取引、共同実現プロジェクト、環境配慮型発展メカニズム、など)以外に、別のメカニズムも可能であり、新しい提案が練り出されている。最初の予算期間のあと(それは2012年に終了する)京都構想は、違う形式で新しい義務を持つ新しい提案が採択されることになっている。
物理的には京都議定書は、排出ガスの5%の削減というわずかな数値を設定しているのは事実だが、政治的、そして制度的には、このプロジェクトは非常に意義がある。例を出そう。もし何もしなければ2012年までには温室効果ガスの濃度は1990年のそれよりも18ppm(18百万分率、空気中百万粒子のうちの温室効果ガスの粒子が18あるということ)も上がってしまう。もし京都議定書を実行すれば16ppmの上昇で済む。
経済的観点からも議定書は決して悪くはない。1度の温度変動でもそれが与える影響は甚大だ。「節約」、例えば、100年間で2度、温暖化を抑制できれば、それは莫大な成功と言える。比べて見よう。人間の体温が37度と39度では同じ2度でも違いは大きい。生物相について言えば、それのためには、指標の最もわずかな変化ですら決定的な違いになる。従い、京都構想を前向きに解決できれば地球上の多くの生物を救うことができるのだ。

